76号 2017年12月発行

 「市民」よ誇りを持とう

 総選挙が終わった。自民党は17%の支持で、60%強の議席を取るというとても公平とはいえない選挙制度の問題もあるが、憲法改悪勢力が3分の2以上を占めることとなった。 政府与党による野党分断作戦に民進党が乗っかり、希望の党が生まれたが、最後の一線で、市民の声を反映して立憲の党が生まれた。こうした混乱の中で、市民はというと、今こそ出番にもかかわらず、体制が整う前に、強引な選挙が行われてしまった。 市民と野党が統一して闘うという総選挙では初めての試みが、全国各地で、試行錯誤しながら行われた。市民は、選挙にどうかかわれるのか、どういう立ち位置で進めるのか、誰もわからないままに闘いが過ぎてしまった。
 この「市民」が、日本では歴史的に新しいこともあり、まだ身についていないからこそ、選挙や政治行動に参加していくことにためらってしまう。 私が思う市民とは、個々人として自主独立の気概を持って自律的に活動する自立性を持っていること。自らが市民社会における主権者であることを自覚して、一般意思のために行動する公共性を持つこと。受動的ではなくて能動的に、自ら積極的に社会へ働きかけ、状況参加する能動性を持つこと。この自立性、公共性、能動性をもって参加するのが、「市民」であろう。 総選挙が終わった。自民党は17%の支持で、60%強の議席を取るというとても公平とはいえない選挙制度の問題もあるが、憲法改悪勢力が3分の2以上を占めることとなった。 この「市民」が、日本では歴史的に新しいこともあり、まだ身についていないからこそ、選挙や政治行動に参加していくことにためらってしまう。 3000万人もの署名が集まれば、これでは国会で発議しても国民投票で負ける、慎重になろうと改憲派も考えるにちがいない。 この「市民」が、日本では歴史的に新しいこともあり、まだ身についていないからこそ、選挙や政治行動に参加していくことにためらってしまう。 でも、戦争法NO!の戦いの中から、「一人じゃないんだ」という思いが、世論を作り、世の中のうねりを生み出した。市民と野党の共闘が進んだことは、一人一人が、結果として「市民」の役割を果たしはじめた。練馬の駅頭で、地域で、様々な活動で「市民」が参加し始めた。ここに「希望」が見いだせる。長い目で見れば、今年は「市民」の登場のスタート時期に当たる。   「市民」よ誇りをもとう。歴史上、第一歩を踏み出したのだ。

森田 彦一 (ねりま九条の会会員)

3000万署名を成功させよう!

ただ今の区内9条の会の署名数 1096筆

 3000万人もの署名が集まれば、これでは国会で発議しても国民投票で負ける、慎重になろうと改憲派も考えるにちがいない。   今私たちにできることは、平和憲法を守るため、9条を守るために「署名」に全力をあげること!─ 頑張りましょう!

ねりま九条の会 第14回総会報告

12月9日に石神井庁舎5階会議室で開催された「ねりま九条の会第14回総会」の様子をご報告させて戴きます。約80名の出席者が安倍政治に負けずに、3000万人署名に取り組むこ とを決意しました。

 第一部の永田浩三武蔵大学教授による記念講演「安倍一強、これでよいのか日本のメディア」ではNHKに長年勤められた先生ならではの広い知識とご体験から、具体例を多く挙げて、 政権とメディアのかかわりの歴史を紐解き、今のメディアの置かれた環境と問題点を教えてくださいました。本来は「困っている人、声を挙げられない人のために存在すべき」公共財としてのメ ディアが、その機能を果たしていないように見える今、「私たちとして何ができるのでしょうか?」との会場からの質問に対して、先生から「いいと思ったら褒め、問題があると思ったら叱る」ことが 大事で、100人の意見が報道を動かすことができる」との回答を頂きました。

講演中の永田浩三さん

この言葉をお聞きして、当日の出席者は皆励まされました。 続く第二部の総会は、総会議案に沿って、経過報告、決算報告、方針案提案、予算案提案、会計監査報告がなされた後に練馬区内の5つの九条の会から、3000万人署名の取り組みに関する発表をいただきました。みな熱い取り組みですが、ここではほんの要点だけお伝えします。 大泉学園町九条の会準備会  来年1月28日に朝霞の陸上自衛隊広報センターを訪れ、旧陸軍予科士官学校関連の展示品や旧軍関係資料などを展示している振武臺記念館の見学を予定しています。自衛隊を肌で感じて3000万人署名活動に邁進するつもりです。地域のデモ実施も検討してます。 田柄九条の会  3000万人署名は10月から継続的な駅頭宣伝を中心に取り組んで来ました。来週から板橋区の「ゆりの木通り・赤塚新町九条の会」と共同して駅頭宣伝を強力に繰り広げる予定です。全戸配布や戸別訪問はこれからですが、楽しく宣伝活動をしたいと思っています。 江古田九条の会準備会  お一人で既に50筆ほど集めた福嶋さんの手紙の発表です。 署名活動が「平和憲法を守り抜く唯一の手段だ」との信念で活動しています。署名活動は同じ思いの人と出会う仲間探しです。そのため、あらゆる機会を利用して声を掛けて署名を集めています。 3地域九条の会  定期的な駅頭宣伝と時宜にかなった学習会・上映会を継続的に実施・展開して、その活動の中で、九条の会の仲間を増やしてゆくとともに、署名を集めてゆきます。 石神井台九条の会  私たちは会費制・会員制をとっておらず、過去に5回開催した学習会・講演会の参加者50名の方お一人お一人に世話人が手分けしてニュースを届けたり、署名用紙と石神井台九条の会のオリジナル呼びかけ文も持参して働きかけを始めました。今後その反応を見ながら、3000万署名を推進してゆきます。

桜台九条の会 松下光雄記

ラフカディオハーン(小泉八雲)の時代と
今の教育が「そっくり」と感じるのはなぜ?

・日本の教育は、個人を、独歩の行動を出来るように鍛えるのではなく、個人を共同的行為に向くように、つまり、厳しい社会機構の中に個人が妥当な位置を占めるのに適するように訓練を 施すことであった。

・クラス生活の調整は、多数がひとりを支配していくというのが常道であり、クラス感情を害した生徒はたちまちのけものにされてしまう。 誰もが誰かを見守っている。人並みでないこと、風変りなことなどは、たちまち注目の的になり、「真綿で首」式に穏やかに押えつけられる。

・長い苦しい学窓生活は、彼に書籍が教える以上のこと、どんな場合でも感情を顔にださないこと、なんでもない質問で事の真相を素早くつかみとること、心の隙を見せないように生きていくこと、こうしたことを彼は体得したのである。つまり、彼は世俗の世渡りの道を習得したのである。

・彼は家族のものになり、集団のものになり、政府のものになっている。公的にはひたすら、命令を遵奉して行動しなければならない。〝そして命令にそむくような衝動に屈することは、その衝動が如何に道理にかなったことであっても、夢にも考えてはならないのである〟


ラフカディオハーン著『神国日本』より (孫崎享さんから届いたメールよりの抜粋)

ラフカディオハーン

アメリカで出版された 『神国日本』の原書

 ラフカディオハーンは、明治期に来日、日本を大変愛し、小泉八雲という日本名を持つことや、日本人の妻から聞いた話を元に『怪談』などの著書を著したことで知られる人ですが、彼は旧 制の中学校や高等中学校の英語教師をつとめ、東京帝国大学、早稲田大学などでも英文学を教えました。 この記述は、その時の経験と観察をもとにアメリカで出版した『神国日本』という本の中に出てくる日本の教育に関する部分の抜粋です。 これを読んだとき、多くの人が「今と同じじゃないか」と感じると思います。敗戦後の日本は、新しい憲法と教育基本法の下で、国民主権や基本的人権をうたう民主的な教育が行われる筈でした。それなのになぜ「修身」が生みだした明治時代の学校教育と、今を同じと感じるのでしょうか。

鶴田敦子さんの講演から

向山九条の会で講演をお願いした鶴田敦子さんのお話から、現在の「道徳教育」の背後に刻まれた歴史や国家観を抜粋させていただきました。

・道徳教育復活の歴史

敗戦後、戦争への反省から修身が廃止されました。しかし戦争遂行を推進した人々が公職追放から解除された1949年には、早くも日本政府は「愛国心を養わなければいけない」と修身 復活の考えを持ち始めます。そして1958年には道徳の復活とそれに反対する意見のせめぎ合いの中で「道徳」の時間だけを設けました。でも教科ではなかったし、まだ教員組合運動が盛 んだったので教育現場では積極的に取り組まなかったのですが、道徳教育にはそういう歴史が重ねられてきたのです。国家は本当はずーっとやりたかったのです。戦前の国家は、黙って従って くれる国民を求めて、「滅私奉公」の人間像をつくるために「修身」を置いていたのですが、その方が国家にとっては都合がいいわけです。だから「いじめ」にかこつけて「道徳」を復活させたのです。 2000年に森内閣は、教育改革国民会議が唱える「教育を変える一七条の提案」の中で、「学校は道徳を教えることをためらわない」として 高等学校でも道徳教育を行うことを提案します。

・教育基本法の改正と道徳の教科化

2006年、安倍内閣は教育基本法の改正を行い、第2条に「教育目標」として道徳的項目を盛込みます。基本法というのは概要を決めるものだから具体的な内容は盛り込まないのが普 通なのですが盛り込んでしまいます。その改正「教育基本法」に沿って「新学習指導要領」を制定しますが、ここには

「本来道徳教育は学校の中核となるべきものであるが…」

と書いてあります。学校教育の中核が道徳教育というのは戦前の修身体制のあった学校です。先生も全部それに従っていたのです。それを今言っている のです。ですから稲田防衛大臣が言った「教育勅語」を復活させても良いのではないかという言葉に繋がるのです。

・「修身と新学習指導要領」項目比較

「滅私」─全く同じ。「ひたすら反省する」「勤労=みんなのため、社会のために働く」─ほぼ一致。このように修身と新学習指導要領の項目は8~9分通り一致します。道徳がどういう姿勢でつく られたか一目瞭然です。道徳教育の目的は、国家・経済界を積極的に支える人材を育成することに他ならないのです。

・国家が語る教育観

小渕内閣諮問会議「21世紀の日本の構想 懇談会」(2000年)答申 座長河合隼雄  
第5章 国家にとって教育とは一つの統治行為だということである。最低限度の計算能力のない、合理的思考力の欠如した国民に対して、暴力や抑圧によらない治安を供与することは不可能である。そうした点から考えると、教育は一面に於いて警察や司法機関などに許された権能にちかいものを備え、それを補完する機能を持つと考えられる。   しかし有能な者は個人が自己実現に成功すれば、それが逆に国家あるいは国民の利益に繋がることは自明の理である。   そのために財政的な支出を行うことは、それ事態が国益に叶うものとして国家の機能のうちに数えられるべきであろう。 国家権力に国民を従わせるために教育があると言っているのですね。しかし有能なエリートは国家にとっても利益があるからお金 を出して教育しようということです。だから、今高校はスーパーサイエンス高校になっているところとなっていないところがあります。 スーパーサイエンス高校には1000万円もの予算が下りています。  (文責 小沼)

「6年半後のフクシマを知る旅」のご報告

 10月27・28日の2日間、新日本婦人の会(新婦人)練馬支部が「6年半後のフクシマを知る旅」を実施した。避難指示解 除になった地域の現状を見て聞いて、今後を考える旅にしたい。原状回復に向け、現地で闘っている方々と交流する旅にしたい。この2つの目的は充分達成できたと思う。 ・1日目 東京練馬→二本松→川俣町→山木屋→国道114号線・浪江町→浪江IC→相馬IC→相馬新地(原発ゼロ金曜行動)→松川浦栄荘(生業訴訟原告団と交流)

■ 川俣町山木屋

福島第1原発から30~40キロ圏。高濃度放射能汚染地域にもかかわらず、計画的避難区域に指定されたのは事故から1ヶ月以上後。住民のほとんどは、町内の仮設住宅で避難生活 を送る。今年3月31日避難指示解除となったが、9月30日現在 山木屋に住所のある人は、965人…311世帯。居住率は、人数25・2%、世帯数34・7%である。 帰還者の多くは高齢で、被災前の産業である農業・畜産・生花などの再開には消極的。川俣町の除染土壌等の仮置き場は64か所(山木屋43か所)、フレコンバックの保管数は665・451袋である。5月に訪れたとき黒いフレコンバックがいたるところ山積みだったが、あまり目につかない。案内役の町議さんによると、帰還住民の不安を解消するため、山中の比較的影響のない場所へ移したと言う。大熊町の中間貯蔵施設が整い次第さらに移動し、30年後には県外の最終処分場へと運ばれることになるという。住民サービス機能を備えた真新しい商業施設が7月から営業を開始していた。

■ 国道114号線・浪江町

 閉鎖されていた114号線が9月20日開通した。飯舘村を通って相馬市へというコースを変更し、114号線を辿って浪江町の帰還困難区域を突っ切る。原発事故の際、「赤宇木・津島」 は浪江住民の避難場所となった。高線量を知らされず、何日間も留まったのだ。空間線量がいまだに高く、田畑には雑草がジャングルのように生い茂っていた。そこに集落があったとは思えな い光景に、慄然とした。案内役の浪江町町議さんの家が国道沿い(赤宇木)にあり、奥様が出迎えてくれた。一ヶ月に一度草刈りなどのため帰宅するが、許可証が必要で、頭のてっぺんか ら足の先まで防護服に身を固め、用が済むとスクリーニングを受けたのち村を離れる。

■ 原発ゼロ金曜日行動

 相馬新地・原発事故の全面賠償をさせる会が主催し、毎週金曜日の原発ゼロ集会は200回を超える。「フクシマを知る旅」参加者全員で〝たんぽぽ〟を歌いスピーチをした。現地の 方々と共に行動した貴重な時間。

■ 生業訴訟原告の方と交流

 国と東電の責任を認めた福島地裁判決は大きな成果であるが、まだまだ闘いはこれから。 私たちができることは事実を直視し、反原発運動をたゆまず続ける、現状を伝えることだと思った。

・2日目 松川浦→野馬土→小高区鈴木安蔵生家→希望の牧場→佐藤家→浪江町新商業施設→請戸→富岡町夜ノ森→楢葉町「宝鏡寺」→四ッ倉IC→東京練馬

被曝して食糧になり得ず、殺処分される運命にあった牛を飼い続ける「希望の牧場」の牛たち   撮影:川嵜俊子さん

■ 鈴木安蔵生家

 日本国憲法の起草者鈴木安蔵を、この地域では誰もが誇りと感じていることが伝わってくる。原発訴訟は、この憲法があるからこそ闘えている。

■ 希望の牧場

 殺処分に抗い330頭の牛を飼っている吉沢さん、牛飼いの魂が「牛たちを生かす」ことを選択し6年半(2375日)が経つ。「飼い続ける事が原発事故を告発すること」と。牛たちの命と自らの命をもって訴えることの意味は重い。

■ 佐藤家・浪江町

 

 3・11から手を加えていない佐藤家。窓ガラスが割られ、内部は乱雑を極める。猪が布団を引っ張り出してねぐらにしていたとのこと。3月に避難指示解除になったが、除染は家の周り20mに限られ、境をほんの少し超えただけで線量計の値がみるみる上がる。「年間20ミリシーベルト以下」になったというが、全くのペテンであることがわかる。浪江町の避難指示解除対象人口1万5000人のうち帰還は300人足らず、中心街は「解体済み」の更地と「解体予定」家屋がズラリ。帰りたくても帰れない実態なのに「帰ってもいいよ(自己責任で)」の避難指示解除は、賠償打ち切りの「棄民 政策」と「アンダーコントロールの正当化」以外のなにものでもない。無責任さに呆れ、胸が痛む。

■富岡町夜ノ森

 

 道路一本隔てて、帰還困難区域と避難指示解除地域が隣接している。同じ空気が流れているのに何が違うのか? 線引きすること自体が間違っている! 解除になった地域に人気はない。

■ 楢葉町・宝鏡寺

 40年も前から原発立地反対運動をしてきた早川住職、600年の歴史を持つ宝鏡寺は、早川さんの代で幕を閉じる。無念に違いない。今はいわき訴訟の先頭に立っている。早川さんのそうせざるを得ない生き方は、全て「原発」のせいだ。「原発さえ無ければ」の言葉が頭をよぎる。 終りに ひとたび事故が起これば壊滅的な被害を及ぼす原発。福島に行く度、原発を産み出した構図に怒りが湧く。原発のみならず、国民を犠牲にしてはばからない政治が溢れている日本、国民本位に変えていきたいですね。

九条 歌壇

 川柳 俳句 短歌 詩

バンザイは 嫌な戦争 思い出す
バンザイと 散った忘れぬ 叔父の顔
疎開先 機銃照射は ついてくる
天皇の ためにと戦い かり出され
戦争の ためと勉強 そっちのけ
これからも 戦争だけは 抹殺す
共謀罪 駅宣友に しげきされ
安保法 これでもかと 共謀罪
駅頭で 署名の友に はげまされ
紀代彦が うたう九条 買い求め
日本の 何時まで続く 黒い霧
コレクション 死んでしまえば ゴミの山
衰える 記憶を本で 呼び起こし
おどろきの 真相知った もくせい号

 伊藤美鈴(ねりま九条の会)


みんなの手づくりで盛り上げたコンサート

2017年イマジンピースコンサートを終えて

 2017年の3月に準備会を始めてから8カ月、あいだに2回の選挙を挟んで実行委員会はほぼ、月1回のペース。宣伝やチケット拡散をどう進めればよいのか悩みな がらの進行でした。しかし実行委員会の論議を重ねるうちにピアノのロゴで缶バッジをつくり参加証にしよう。団体のタペストリーをつくって会場に飾ろう。 ステージの大看板、プログラムも…と実行委員会には全団体がいつも出席してみんなが仕事を分担し、コンサートを創り上げることができました。 11月5日には光が丘で演奏しながらの宣伝が大好評、12日には練馬駅でも行い通りがかりの人がいっしょに歌ってくれるというハプニングもありました。 前日準備の18日、会場も演奏がスムーズにいくように、お客様に雰囲気を楽しんで貰うようにと工夫しました。全部の出演団体のカラフルなタペストリーが飾られ ポスターや写真、平和のタネを売るワゴンも並んで、とても暖かい雰囲気になりました。
アンケートで寄せられた感想
 *平和を願って集まった人たちで、平和を考えるコンサートはとても意味があることです。
 *新しい憲法のはなしの歌、朗読がよかった
 *手づくり感満載で親しめた。きびしい言葉で、声高に反戦を唱えなくても素直に感じとれた。
 *オリジナルの曲のことばに涙ぐんでしまった。どのグループも素晴らしかった。
 次回に向けて改善すべきこともいろいろありますが、当日の参加は出演者とお客様あわせて250名。
 地域9条の会の皆さんにも支えて頂いたことを感謝致します。

2017年イマジンピース
     コンサート実行委員会

ねりま探勝、歴史あれこれ

第2回 旧内田家住宅

 我が家は練馬区のボランティアで、日本を訪れた外国人のホ ームステイのホストファミリーとして登録している。先月、スペインの青年D氏がホームステイした際、練馬区内の定番コースである石神井公園近辺のふるさと文化館や社寺を案内した。 文化館ではねりま大根の沢庵の製造過程を興味深そうに見学し、池淵史跡公園の旧内田家住宅の見事な茅葺屋根に感嘆の声を上げ、座敷に上がってガイドさんの説明に耳を傾けていた。  『練馬ふるさと事典』(練馬古文書研究会編 東京堂出版)は当住宅について、「中村3丁目に住んでいた内田家の住宅であり、寄棟造りの平入り━建物の平、すなわち大棟と平行な面に出入り口のあるもの。反対が妻入り━の民家建築。明治22年(1889年)頃の建築と推定されるが、建築の構造、形式などから、一部に江戸時代に建てられた民家の古材を使用していたと考えられる」と説明している。
 さらに、この住宅の所有者であった中村権右衛門については、「旧中村の名主役を世襲した旧家。『千川家文書』に権右衛門の名が確認され、明治元年(1868年)の文書の『観泉寺文書』までその名が確認できるが、その後の消息は不明である」とある。
 ついでに話を拡げれば、『千川家文書』とは、「千川上水の開鑿、管理に関わった千川家に伝わっていた元禄9年(1690年)の千川上水請負手形から明治17年(1884年)の千川上水絵図まで、江戸、明治、年代不詳の文書計297点の文書・記録・絵図類。千川上水に関わる文書が系統的に残り、千川上水の歴史を広く知ることができるとともに、地域の歴史を理解する上で重要である」と、練馬区役所ホームページ「練馬区の歴史と文化財」にある。

         勝山記

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